日本語学校の生徒が「さようなら」に関する質問をしてて沢山の人からコメントがありました。
「さようなら」は永遠の別れの挨拶だと思ってたけど、先生がカジュアルに言うから不思議の思ってたそうです。
海外の反応をみてみますと、日本に住んでる外国人が別れの挨拶に何を使ってるのか話す人がたくさんいました。
1:アンプタップより海外の反応
私は日本語学校の生徒なんだけど、一日の終わりに学校を出るとき、先生はみんな「さようなら」を使う
私はいつも「さようなら」は、長い間会うことのない人に最後のお別れを言うときに使うものだと思っていた
そして「さようなら」に対して「また明日」と「また来週」と返すのも、やっぱり違和感がある
この質問は直接先生にしたかったんだけど、私の日本語はあまり上手ではないから、ちょっと恥ずかしくて聞けなかった
以下海外の反応
2:アンプタップより海外の反応
マジで投稿者がこの質問をここに投げかけてくれて感謝だ
私もめちゃくちゃ気になってたから
3:アンプタップより海外の反応
英語で使われる「Sayonara」は、永遠の別れという意味
日本語の「さようなら」は、正式な場での別れを意味する
通常、生徒と先生の間で使われる
4:アンプタップより海外の反応
普通は職場で「さよなら」なんて言わない
そんなの変だよ
僕にとっても、「さよなら」は一生の別れのようなものなんだ
私はそれを使用したことがないと思うわ
普段は「気をつけて帰ってね!」、「先に失礼します!」、「また今度!」、「また明日!」、「バイバイ!」とか、そういうカジュアルな感じだ
5:アンプタップより海外の反応
部屋を出るときに私は「おさらばだ」と言う
6:アンプタップより海外の反応
私の先生はこれを使ったことはないなぁ
でもネイティブスピーカーが使っているものを参考にした方が良いと思うよ
7:アンプタップより海外の反応
ある言語を学ぶために学校に通い、そのために多くのお金を払っている
なのに先生たちに質問しないのはどういうこと?w
8:アンプタップより海外の反応
私が夜勤のバイトを始めると、みんなに「おはようございます」と言われるのは、とても違和感を感じる
9:アンプタップより海外の反応
「さようなら」はカジュアルな「バイバイ」みたいなもんだよ
「さらばだ」は永遠の別れの挨拶
10:アンプタップより海外の反応
ちょっとフォーマルだけど、珍しいことではない
私はいつも「じゃあね」を使うけど、きちんとした場面だと「お疲れ様」と言う
11:アンプタップより海外の反応
私は日本の小学校で教師をしてるけど、ある生徒が毎日教務室にやってきては「さようなら」と言うのだ
私はそれが普通だと思うんだけど、個人的には一度も言ったことがない
12:アンプタップより海外の反応
フォーマルな会話では、クライアントや学生に別れを告げるときによく使われるよ
13:アンプタップより海外の反応
「『さようなら』は最後のお別れの時だけ」というミームがどこから来たのか、さっぱり分からない
日本の教科書はそれをやめて、「よろしくお願いいたします」がいかに重要であるかを強調する指導が必要があると思う
14:アンプタップより海外の反応
「さようなら」は全然カジュアルに使われてるから心配しないで
15:アンプタップより海外の反応
確かに「さようなら」は永遠の別れを意味するかもしれない
先生が生徒に使う「さようなら」は形式的なことだからそこまで気にすることではない
16:アンプタップより海外の反応
私の担当医の一人は、診察の最後に必ず「さようなら」と言う
その人は少し年配の紳士な人だ
17:アンプタップより海外の反応
他の人が指摘したように、「さようなら」にはいろいろな使い方があるんだ
もっと重要なことは、先生にこのような質問をすることだ
そのために先生方はいるんだから
彼らは喜んで助けてくれるだろうし、あなたが迷ったり混乱したりしないようにと願っているはずだ
18:アンプタップより海外の反応
私も「さようなら」はとても最後の言葉だと感じていたけど、普通に使われているんだね
娘を幼稚園に迎えに行くとき、先生が「さようなら」と言うと、私たちも「さようなら」と返す
そして、他の親にも「さようなら」と言う
だから先生に使うのは問題ないでしょう。
19:アンプタップより海外の反応
文脈によると思う
学校では、多くの人が「さようなら」と言う
それが普通で、もう一生生徒や先生に会わないということではない
しかし、家族や友達とは、通常「さようなら」とは言わない
その場合、「永遠にさようなら」という意味になる
例えば、彼氏・彼女に「さようなら」と言ったら、それは「永遠にさようなら」ということ
20:アンプタップより海外の反応
私の保育園では、生徒と先生が一日の終わりに「さようなら」を言う
私の同僚も、「お疲れ様でした」を言い合って別れる
関西で働くまで、こんなに「さようなら」を聞いたことがなかったから、地域性があるのかもしれないねw
21:アンプタップより海外の反応
私は別れの挨拶をする時にいつも「んちゃ!」って言ってる
引用元:Reddit
コメント
なんでお前らが日本語の意味決めるんや
まあ外人同士で使う分にはいいが日本人の使い方に文句言うな
フォーマルで固い言葉という認識。
なので永い別れの際に使用するパターンがあると思ってる。
他の別れの言葉より少し重みがある。
さよならだ・・って言われたら消される直前だな
>家族や友達とは、通常「さようなら」とは言わない
その場合、「永遠にさようなら」という意味になる
例えば、彼氏・彼女に「さようなら」と言ったら、それは「永遠にさようなら」ということ
ならないよw
NHKが番組最後に「失礼します」って言う方に違和感を覚えたのですが。
「さようなら」で良くない?
「失礼します」は確かに変だ
「左様ならば失礼いたします」という退自する挨拶が略されて「さようなら」になっただけ。
外人が思ってるような重い意味は言葉自体にはない。意味が重くなるのは前後のシチュエーンョン次第
「左様ならば失礼いたします」という退自する挨拶が略されて「さようなら」になっただけ。
外人が思ってるような重い意味は言葉自体にはない。意味が重くなるのは前後のシチュエーンョン次第
「左様なら」にせよ「然らば」にせよ、本来の意味は「そうであるならば」で、その後に続く別れの挨拶の枕でしかない。
短縮形や略語がフォーマルな訳ないだろ。
左様ならば御暇申し上げます
左様ならば御機嫌宜しくと御伝え下さいの略
左様ならば、の略語
重い意味なんか欠片もありまへんw
「またね」とか「じゃあね」とか「お疲れ様です」とか「失礼いたします」とかカジュアルな単体の別な言葉と思ってるんだろうけれど
全部「さようなら」の前後の文を省略した言葉なだけである
「さようなら」さえ略語なんだし
「左様ならば、これにて失礼いたす」まで教えないと
言葉に意味はないな、状況に意味があるだけで
だいたいさようなら自体が左様ならば失礼しますとか左様ならばまた明日のように
場を離れるときに使われた言葉
外国人同士で日本語の意味を決めることになんの意味が…?
これは聞かれたらちょっと難しい。言われるように少しだけフォーマルなのかな。
学校で別れる友達にはさようなら〜なのに帰ってから遊んだ時はじゃーなーって感じ。
今だとあんまり会わない人に使うのはちょっとってなるかな。毎日確実に会う職場だと場合によっては使う時もある。さようならーの後がまた明日ーって想定されると割と気軽な感じ?わからーん。
さよならはそういった含みをもたせやすい別れの言葉ってだけで
さよなら自体に永遠の別れという意味はない。
良くも悪くも作品に影響されすぎ
例えるなら「夜道に気をつけろ」の意味は襲いに行くかもしれないぞという脅しの意味ではないのと一緒
そういう含みを持たせた場合もあるけどその言葉自体は単に夜道(は暗いから足下)に気をつけろの意味でしか無い
上記の使い方が有名になりすぎたせいで脅し文句の1つになっちゃってるけど本来の意味は普通の意味だから使っても別に脅迫罪にはならない
なんで永遠の別れになってるんや…
そっちにビックリだよ
昔々の日本映画の影響かもしれん
昔の映画ならなおさら普通に「さようなら」って使ってんだろ
普段から丁寧語で話してること多いし
語源の説明が必要だね。
「永遠」にこだわりすぎてる。ハリウッド映画で日本語をかじったセリフがたまにあるけど、その影響かな?
ロマンチックな用法としては永遠に、ってのがあるかも知れんけど
まあ普通に別れの挨拶だわな
さようならなんて何年も使ってないな
永遠の別れは「死ぬなよ」だろ
「こんなところにいられるか!俺は部屋に戻るぞ」
ロボコップにとどめを刺すときの決め台詞
左様ならばって本当の別れの挨拶を切り出す前の言葉が別れの挨拶になってしまったんだよね。さらばも同じで「さらばこの辺でお暇いたしもうそう」みたいな挨拶の冒頭だね。
別れ際にさよならなんて悲しいこと言うなよ
別れの挨拶は「んちゃ!」ではなく「ばいちゃ!」だろがあああああ
今の幼稚園や小学校では「先生さようならみなさんさようなら」って挨拶しないの?
単に丁寧な普通の挨拶だよ。欧米かぶれがグッド・バイとシーユーの違いみたいに言い出しただけだよな。確か西洋の映画かなんかで日本人女性が永遠の別れのシーンで使ったから欧米がそう思い込んだとか文学に出て来るとか色々な説を聞いた記憶があるけど作品名は覚えてない。どっちにしても昭和の話だよな。
ここまで、さよならは別れの言葉じゃなくて再び逢うまでの遠い約束、無しか?
また会える喜びの日を胸に抱き、さよなら、さよなら、さよおなら
って何の歌だっけ?
サトウハチロー中田喜直別れの歌
また会える喜びの日を胸に浮かべが正しい。
別れ際なら “んちゃ!” じゃなく “バイちゃ!” だろ半端者が
使われる文脈によって、今生の別れというニュアンスも含むから日常ではあまり使わない挨拶言葉ではあるね。
親しい仲なら「またね」や「じゃあね」が一般的。社交的な挨拶なら「失礼いたします」 女性なら「ごきげんよう」と自然に言えるとエレガント。
社会に出たてのとき、退社の際に「さようなら」って言ってたら、先輩からお前それ会社辞めるみたいに聞こえるからよせってたしなめられた思い出w
さよならは別れの言葉じゃなくて
再び逢うまでの遠い約束
左様なら。シチュエーションによって意味合いが異なる。
まあ、やや固いか重い場面でも使えるってのはあるけど、カジュアルに使えないわけではないからな
ふと思ったけど実際さようならなんて言葉は小学生以来あんまり使ってないな
職場だと失礼しますとかが多いし、友人にはもっと軽い言葉になるしな
そう考えると日本人が思ってるよりは重い言葉なのか?
関西だと退社の時の挨拶はホナサイナラだけどな。
英語も一緒やろ、good byeは次会うのを期待しない
see youは期待した挨拶
だからgood byeは普段あまり使わない
またねのかしこまった言い方だと思ってた
フォーマルな挨拶の言葉「さようなら」をカジュアルな関係で使う時は「カジュアルな関係では無くなります」の意味が入ってるってだけ。
なんで外人が勝手に日本語の定義を決めてんだよ
ほんと気持ちの悪い連中だわ
お前らにとって日本語はハードルが高すぎる言語なんだから理解出来ないのが当たり前と思え
>しかし、家族や友達とは、通常「さようなら」とは言わない
その場合、「永遠にさようなら」という意味になる
こういう勝手な間違った解釈を断言するバカがいるから変な誤解が広がるんだろうな
明日また会う友達同士でもさようならという場合はあるよバカ
さようなら銀河鉄道999の主題歌の歌詞にさようならはロング・グッドバイって歌詞があるからね。わりとあの時代にそういうことをもっともらしく言う人間が発信側にいたんだよな。何故か日本語を英語側に擦り寄せようと強引にこじつけるムーブメント?日本語と英語は一対一対応しないって当たり前のことが理解できない人は今でも一定数いる。
淀川長治さんはじゃあ毎回一期一会で挨拶してたのか?