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海外「初めて知った!」 日本の侍は戦闘時に刀よりも使われた武器があった事実に驚愕

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「刀は石よりも弱かった」と説明する動画が投稿されて話題になってました。

戦場での刀の使用率は10%未満で、他の武器が使えなくなった状況や接近戦に限定されていたことを明らかにしています。

海外の反応をみてみますと共感する外国人や、初めて知る事実に衝撃を受ける人などもいました。

刀は石よりも弱い

「侍=刀」があなたのイメージだろうね。
でも実際のところ、戦場で最も使用された武器は弓(銃)で約60%、次いで薙刀(槍)が20%ほど。
それから次は刀がくるのかな…?
いや、それは「投石」だよ。

戦場での刀の使用率は10%にも達していないんだ。
刀は他のすべての武器がなくなり、敵があなたに近づいてきたときに使われた。
ほぼ敗北が避けられない状況だよ。

平和な江戸時代になると、侍たちは常に刀を腰につけていた。
しかし、公共の場で刃を見せるだけで(特別な場合を除き)即座に処刑にされるほど、刀の使用は厳しく制限されていたんだ。
侍たちは一般人を斬る権利を持っていたけど、それが承認されるための条件も非常に厳しいものだったよ。


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以下海外の反応

だから伊之助が石で刃を作り直したんだね

なるほど、それは納得だ
古代の世界を見てみると、敵を遠距離から倒すことが、槍や弓矢を使って、命を落とさずに勝つ理想的な方法だったようだな

それは本当に興味深いね!
私はいつも弓矢は弱い者が使う武器だと思ってた

私が読んだところでは、武蔵はおそらく、石が束になって飛んできたことで、脛に重傷を負ったらしい
彼が回復するのに長い時間がかかったそうだ

だから槍と弓は国際的に平民の最強武器だったんだ
これには驚きはないよ

「あ、しまった!石がなくなった!仕方がない、このくそったれな刀を使うしかない!」

「刀鍛冶は火を見つめて目を悪くし、熱く厳しい環境下で髪を焼き、金属を打つことで手を腫らせた。数え切れないほどの時間をかけて刀を磨いた。」

侍:「石でいいや」

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私は、一振りの刀で山を切ることができると思っていた

それには何の驚きもない
戦場では敵との間に一定の距離を保つことが望ましい
槍で敵を遠ざけたりできるし、投石で遠距離攻撃も可能だ

投げる武器がなくなった時の最終手段で刀を使うと言うことか

刀は、戦場での侍の最後の手段
現代で言うハンドガンのようなものだ

ちなみに弓やライフルの次に最も使用された武器は槍だったんじゃないか?

現代にも置き換えられるね
コンバットナイフよりも銃の方が効率良い

「あ、なるほど…いま私は理解したよ
侍が刀を振るっているのは、映画やマンガなどのメディアの影響だけなんだ

戦闘の時に「石を投げる」というのはとても納得できる
今まで考えたこともなかったよ

侍が人を斬ることを正当化できるのは、どんな状況なのかとても気になった

えっ?じゃあ、敵が石を投げてくるのも歴史的に正確なのか?
それは面白いね
それを知ってクールだと思ったけど、なんだかおかしいね

侍が大好きな人にとってはショックな事実だね

アメリカの映画で必要なのは、もっと歴史的に正確な侍系映画だね

引用元:YouTube

コメント

  1. 匿名アンプタップ says:

    易々と抜けないことを知った上で町人が武士をからかっていた例もあるそうだからな
    たとえ無礼討ちが認められていても検分で不利になったらと思うと耐える方がマシか

  2. 匿名アンプタップ says:

    刀は今でいうピストルに近い
    主に戦場で使ったのは槍、弓で、現在のライフル、サブマシンガンに相当する
    あくまで護身用、最後の保険
    護身用だからこそ普段ピストルを懐に忍ばせる様に刀を差して歩く

  3. 匿名アンプタップ says:

    ソースは何だろうな

    • 匿名アンプタップ says:

      多分、遺跡とか古戦場跡で発掘された戦死者の遺骨

      それを調査することで死因の推測や特定ができるんで、死因のパーセンテージをそのまま「使用率」としてスライドさせてしまったんじゃないかと

      まぁ江戸の時代は刀が武士の象徴ではあったけれども、実際には「三国一の弓取り」とか言われていたように、武士のメインウェポンは弓で、その上で槍も刀もこなし、文物にも秀でるのが文武両道のサムライの道って言われていた
      メインウェポンと言っても、実際には習得に時間がかかるってことで主に収斂していたって感じで、騎馬弓兵としての活躍はそれほどではなく、名誉と体面を鑑みて弓で状況をこなすよりも、白刃でもって優劣をはっきりさせる行為が好まれるようになっちゃったからね
      特に江戸には戦場を知らない庶民の読み物としてのエンタメ性によって、サムライの名誉や刀での決着を過度に評価されるような風潮はあった

      室町や戦国においては、戦場で活躍して生き残るためには各種の武器に習熟して、状況に合わせて使いこなせなければ武功を示せないって感じだったし
      その反面、手軽な投てき武器として、武士やサムライではなく足軽や農民兵などが遠距離武器として石投げを多用した事実もあり、その後に穂先の金属部分のみを持参して現場で柄を作った長槍でのライン戦へと移行する

      下っぱ足軽や農民兵までもを「サムライ」として区分してこそ投てきが主要武器であるって統計になっちゃうんだろうね

  4. 匿名アンプタップ says:

    いや、どこの国でも火薬が戦場で使われるようになるまでは
    石・弓・槍がよく使われたんだよ
    日本だけの話じゃない

    • 匿名アンプタップ says:

      それよな
      知ったか馬鹿ガイジンがドヤってるだけ

    • 匿名アンプタップ says:

      だからそうだって言ってるじゃん

    • 匿名アンプタップ says:

      戦争において、相手を傷付け自分は無傷で生き残るのが最良である
      よって、相手の攻撃が届かないように攻撃する手段が最高、つまりアウトレンジ戦法を技術と共に進歩させてきた

      原始時代の狩りのための石投げ、投げ槍から始まり、弓矢、長槍、ボウガン、火縄銃、大砲、航空機、そして現代は大陸間すら届くミサイルまでとな

      いつの時代でも戦争は遠距離での撃ち合いから始まり、前進して近距離武器での乱戦になる
      また野戦ではなく城攻め(拠点攻撃)の場合なら閉所のため近距離武器しか使えないしな

      今も昔も兵士は状況に合わせて武器を使い分けなければならないということだ

  5. 匿名アンプタップ says:

    まず戦国時代と江戸時代は区別せよ。
    江戸時代に刀を抜いた方が死罪になるのは間違いないが、裏を返せばそれを覚悟すれば自己判断で人を切れた。つまり侍には自力救済の権利があったと言う事。
    また町人や岡っ引きなどもそのシステムを利用して嫉妬の対象になった侍にしつこく喧嘩を売り、刀を抜かせて口実を作り梯子掛けにして圧死させるなどの行為をした記録もある。
    戦国時代で忘れてはいけないファクターは論功行賞があったと言う事で、ツワモノに対しては途中までは一騎打ちがあり、それを皆で周りで見ていたという事実。
    この為長距離は槍、近距離は刀、さらに接近したら組討で首をとりにいく。
    そのため剣術および日本刀が実は存在感が無かったという説を唱える人達を信用してはならない。
    秀吉は刀自体に価値を付加し、家康は武芸に価値を付加した。
    お抱えの武芸者の禄高は高くは無いが礼をもって尊重され師匠として扱われた。
    ちなみに倭寇は日本刀主体で戦っており明兵に恐れられたので、刀が戦場で使われていないというのはおかしい。

    ちなみに刀に存在感が無かったと言う層と鎖国は無かったと言う層はかぶっている。
    どちらも説が非常に曖昧で、そういう説を定着化させようとしている狙いがあるように感じるが、何故そんな事をしているのかは不明。
    そういう人の中の一人は例えば「鎌倉は自然の要塞だった」とテレビでいうが、合戦の人数が増える後期になる鎌倉が要塞としては機能しないと言う事を指摘されると、「その通りで、そういう事は今までいってこなかった。」と認めている。
    同様に「日本刀使ってない説」「鎖国は無かった説」もそのような曖昧な説明不足の説であり、何故か大味で印象だけを定着させようとしている。

  6. 匿名アンプタップ says:

    刀で戦う侍が好きなら幕末から明治初期の伝記読めば良い

  7. 匿名アンプタップ says:

    薙刀と槍を同列にしている時点で失格。
    ソースがどうこう以前の問題。

  8. 匿名アンプタップ says:

    使用率が武器の強さなら核兵器はどの位置にランクインするんだ?

  9. ぬぬぬ says:

    こいつデタラメ言っているな
    誰だ?このタラコくちびる

    • 匿名アンプタップ says:

      常識レベルの話だが、頭悪すぎじゃねえかおまえ

  10. 匿名アンプタップ says:

    当たり前だけどTPOに合わせてだね
    また人によっては刀で合戦していた武将もいる
    有名なところだと真柄直隆で2m前後の化け物刀で姉川の戦いに参加してる
    以下WIKIから引用
    姉川の戦いでは太郎太刀を振って奮戦するも、朝倉陣営の敗戦が濃厚になると味方を逃がすべく、単騎で徳川軍に突入し、12段構えの陣を8段まで突き進んだ。だが、向坂三兄弟の攻撃を受け力尽き、「我頸を御家の誉れにせよ」と敵に首を献上して果てた[7]。この時、向坂兄弟が討ち取った時に使用した太刀は「真柄斬り」と名付けられ、名刀の一つになっている。

  11. 匿名アンプタップ says:

    そりゃ城攻めすれば石だの熱した油だのが降り注ぐからね

  12. 名無しさん says:

    また、こいつか!

    貧相な倭人だな。。。ミジメ!!!

  13. 匿名アンプタップ says:

    乱戦で槍や弓や石使ってると思ってんのか?

  14. 匿名アンプタップ says:

    この学説の情報源は2000年に出版された鈴木眞哉の著書刀と首取り。鈴木眞哉は公務員であり歴史学の学位はない。彼の著書は推測が多く一次情報源が少ない。
    日本は戦場での兵士たちの負傷、死因の記録書たちをつける習慣があったのでトマス・D・コンランは多くの記録から統計データを作成した。
    統計では刀と槍による殺害数が多く弓矢による負傷数が多いとの結論。
    日本の戦場で槍が普及していた時期は戦国時代後半(1540年頃)から元和偃武(1615年)まで。薙刀は長柄武器だが振って使用する武器なので集団の戦闘では薙刀で味方を傷つけるので14世紀以後戦場ではあまり使用されまない。
    刀は中国、モンゴル、朝鮮、東南アジア、スペインへ輸出されて軍で採用されてる。

  15. 匿名アンプタップ says:

    投石担当は侍じゃなくて足軽(武士と農民の間くらいの身分)じゃね?