1887年に横浜で撮られた相撲の試合の様子が話題になってました。
会場の雰囲気や力士の体格は現代と違い、とても興味深く思いました。
歴史を感じさせますね。
海外の反応をみてみますと、現代の相撲の違いについて話したり、相撲が好きだというコメントなど、さまざまな声がありました。
1:アンプタップより海外の反応
1887年、日本の横浜で行われた相撲試合
以下海外の反応
2:アンプタップより海外の反応
ドスコイ!!!
3:アンプタップより海外の反応
土俵があまりにもボロくて衝撃的だ
いつからしっかり会場を作るようになったんだろう?
4:アンプタップより海外の反応
雰囲気が伝わってくる魅力的な写真だ
5:アンプタップより海外の反応
私は70年代に日本に住んでいて、大阪の大会を直接観戦したよ
妻も私も、これがきっかけでこのスポーツが大好きになったんだ
6:アンプタップより海外の反応
明治時代の日本の好きなところのひとつは、ファッションのミックスだ
ヨーロッパ風の帽子に和服の組み合わせが良い
7:アンプタップより海外の反応
相撲は歴史と伝統に彩られた素晴らしいスポーツで、1ヶ月ほど前からハマった
8:アンプタップより海外の反応
なんだか一般的な平均体型に見える
ただ身長が高いだけ
9:アンプタップより海外の反応
今を生きている人たちって感じだ
当日携帯が無かったし
10:アンプタップより海外の反応
体格ではなく、技量が勝敗を決めていた時代だ
11:アンプタップより海外の反応
最近の巨体より、ずっと引き締まった身体に見えるね
12:アンプタップより海外の反応
時代が進むにつれて、相撲の平均体重がどれくらい変化したのかグラフがあったら見てみたいわ
当時は5人分を食べるのも大変だったんだろうなぁ
13:アンプタップより海外の反応
このグラフを見てみな
赤:体重 青:身長
14:アンプタップより海外の反応
おお、本当に存在してたんだね!
教えてくれてありがとう!
15:アンプタップより海外の反応
テントの柱がまっすぐでないのが不思議だ
日本の建物はもっときちんとしているのが普通だ
16:アンプタップより海外の反応
これはすごい
相撲はとても純粋なスポーツで、これほど古い写真を見れてとても感動した
1887年と2022年の間に本当に変わったのは、会場だけ
素晴らしいシェアだな
17:アンプタップより海外の反応
観客の多くがかぶっている白い布の頭巾は何かな?
特に、後ろから見える写真の右下にいる人
顔の前にほつれた白い布のたてがみのようなものがついているけど、髪を覆っているものは何もない
18:アンプタップより海外の反応
たぶん新道的なものだろう
相撲は神道の巨大な儀式である
19:アンプタップより海外の反応
相撲がこんなに古いのは驚きだ
20:アンプタップより海外の反応
これがKFC以前の日本か
引用元:Reddit
コメント
地方巡業かな
>相撲がこんなに古くからあるなんて
写真に撮られたって事は既に近代だぞ。
1880年程度でこんなに古いとかどんな感覚してるのやらw
奈良時代には既に相撲はあったってのw
練習場にちゃちゃっと見物席設けた感じか?
素人の町内大会とかじゃないのかね
いくらなんでも体格が貧弱すぎる。本職は商人とかだろう
どう見ても肉体労働者のふくらはぎ、前腕じゃない
大工や漁師どころか料理人でさえもっと良い体をしている
すでに明治で観客にはひとりもチョンマゲがいないのに
力士は髷を結っているから本職の巡業だと思う
格下のふんどしかつぎかもしれんけど素人ではない
なんか色々雑だな、土俵とかさ。
戦前は屋外で大相撲は開催されてた。
国技館でやるようになったのは大相撲の歴史の中でもつい最近。
仮設の四阿に土俵が元々だと思う。
>テントの柱がまっすぐでないのが不思議だ
戦前は千メートルの支柱を地下まで打ち込む技術がなかっただけだ
四股を踏む振動で土俵の形は変わり支柱は抜け落ちてしまう
現在のように荒ぶる力士を制御出来なかった
當麻蹴速とか野見宿禰が実在したとすれば古墳時代 伝承に過ぎないとしてもそれに類する出来事はあっただろうから 相撲自体はもっと古いぞ(現在とは形態が違うにせよ)
試合として記録に残ってない時代にも相撲は執り行われていた
被ってるのは日除けのほっかむりだと思うけど、柱は仮ごしらえっぽいな
神社の境内とかに土俵作ってるとことかたまにあるけど、常設ならそれなりの作りになってると思うし
地元の相撲自慢を集めてきたって感じだな。
興行的臭いがしない。
うちの亡き祖父は県の相撲大会で準優勝したそう。
それで後に力士にもなった人にも勝ったらしい。
優勝した人は力士とは別の職業になった。祖父は戦争で生きて帰ってきたよ。
1887年の横浜で撮影とあるから地方巡業どころか開拓中のど田舎だな
江戸とか大坂とかの土俵とは雲泥の差だろう